2015年6月30日火曜日

一年目営業女子のビジネスダービー 5

4.激戦ビジネスダービー

ダービー開始
4月1日から、山村書店恒例丸山企画の「ビジネスダービー」が始まった。
期間は一カ月間だ。

部内の朝礼では、営業部全員が山村チェーン各店を分担訪問し、本の展開状況を見て、可能ならさらに良い場所に移してもらうこと、大きな商品展開が可能かどうかを店の担当者と話し込むこと、などなど、チェック項目が確認された。

T出版は第1回から参加する常連だ。過去の成績は、第1回の4位こそ表彰されたものの、第2回、第3回がそれぞれ9位、11位と低迷。それでも4回目の昨年、初めて1位となり、全店キャンペーンでは新記録を作ることができた。

そもそも売れそうなタイトルで、最終候補に残れるような作品を探し出すことは難しく、代々の担当者が悩んだところでもあった。
候補は店のビジネス書担当者からも推薦できる。店の担当者と出版社の営業マンの推薦が重なると、最終候補に残りやすいそうだ。

今年はT出版からは3冊がノミネートされていた。3冊のうちの2冊は営業部で検討して決めた自薦本で、そのうちの1冊は陽子自身が個人的に推したものだった。

そして3冊目は、陽子が丸山にお願いして店の担当者推薦枠でノミネートしてもらったものだった。ダメもとのつもりだったが、意外なほど快く推薦してもらえたことに陽子はちょっとびっくりだった。

最終候補に残ると丸山から連絡が来る。ノミネートから最終候補の選定会議までは、どの出版社の営業マンも例外なしにそわそわする。選定会議の翌日、丸山から連絡がきて、最終候補に残ったことがわかるとようやくホッとする。

今年は2番目の候補作が選ばれた。前回参加した出版社から3社が落ち、新規が2社、復活が1社あったと丸山が電話で話していた。

〈今日から4月。張り切って行きますか!〉 
昨年のこの日は入社式だった。入社したばかりで高揚した気分の中でまだ自信などない、空元気ばかりの陽子は肩ひじ張って参加していた記憶がある。一年経って、戦力として店回りをすることに喜びを感じていた。

陽子は会社にも近く、出社時にいつも通っている一番馴染みの地区から店回りを始めた。

最初の訪問店
この地区は最終候補に残った本の著者の出身母体となる会社がある地区で、今も新入社員のテキストとして採用され、著者自身も教育研修を請け負っている。

その日はアポなしの突撃訪問だった。山村書店の店長たちは日曜、月曜の休みが多い。今日は木曜日だし、会議の予定も特に聞いていない。店長たちはお店にいるはずだ。

店に入ると、レジ横の柱前にテーブルが置かれ、そこにビジネスダービーの商品が展開されていた。予想通りのスペース。ちょっと安心だった。
テーブル前で様子を見ていると、どうもと店長が寄ってきた。

「早速チェックですか?」
「はい。POPを持って来ました。ぜひ付けていただきたいのですが」
「了解です」
すぐに事務所からPOPスタンドを出してくれた店長は、手際が良かった。
「ありがとうございます。ところでご相談があるんですが、少しだけお時間をいただいてもよろしいですか?」
「どうぞ」
何だろうという顔をしている。

「ビジネスダービーに参戦できることを、著者が非常に喜んでおりまして…ぜひ書店を訪問したいとおっしゃっているんですが、お邪魔しても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですよ。歓迎します。…確かこのあたり、地元ですよね?」
「そうなんですよ。思い入れが強いみたいで…。それで、実は来週金曜日の午後になると思うんですが、そのあたりはいかがですか?」
「金曜日なら、私もビジネス書の担当者もおりますよ。当日は何店舗か回るんですか?」
「できれば4~5店舗回りたいと考えてまして…
その日は丸山がB店に行くことをつかんでいる。だからB店も訪問する予定だった。

「山岡さんが同行するんですか?」
「はい。実は…御社の懇親会で連覇すると、あの…宣言というか、口を滑らせちゃって」
すると店長はああ、覚えてる、覚えてると、急に声が大きくなった。
「そうでしたね。大変だ」

でも山岡さんなら実現するかもしれないなあ…店長の言葉はお世辞でも嬉しかった。
この2カ月ちょっとの間、陽子は毎日のように走り回っていた。飛ぶようにという表現が嘘ではないほど、毎日が時間との戦いだった。

「ところで、在庫はいかがですか?」
陽子が尋ねると、20冊の配分があったから当面は大丈夫と答えた店長は、ただしと加えた。
「著者が来店される時に、もう少し大きな展開をしようと思いますので、30冊ほど追加してくれませんか?」
「かしこまりました! すぐに直送の手配をします」

「これから次の店に移動するんですが、今回のダービー予想、というか見通しというか、どの作品が一位になるか、店長はどのようにお考えですか?」
かなり大胆な質問だった。分らないと言えば分らない。愚問だったか…?

店長はうーん、と腕組みしてしまった。
「…始まったばかりですから、正直何とも言えませんが…でも一つだけ、売れている本がありますので、それが要注意ですかねえ。ただし、この店ではいわば地元本と言える御社の本を押していくつもりですよ。心配しないで」

「ありがとうございます!」
間抜けな質問だったけど、何だか元気をもらった。

ライバル
電車を乗り継ぎ次の店に急ぐと、ビジネスダービーを展開したコーナーで芳川の姿を発見した。すでに手書きPOPが彼女のノミネート作品の表紙に貼られている。

彼女はいつも、POP用のペンと用紙とセロテープを持ち歩いている。
しかも字がかわいい。
POPに今一つ自信がない陽子は、ちょっと悔しかった。

「それかわいいですね、芳川さん」
陽子が声をかけると、芳川はあら山岡さん、また会いましたねと笑顔で返した。

「ビジネスダービー参戦作品は、確か英語の本ですよね?」
「ええ。ノミネート前に丸山さんに相談しましたよ。その時点で丸山さんからOKをいただきました。山岡さんは相談しました?」
お願いはしましたけど…そうかもっと色々相談すれば良かったな。

陽子の表情を見てとった芳川が続ける。
「ターゲットがビジネスマンなら、ジャンルが違っていてもビジネスダービーの趣旨に合っているから構わないって言っていましたよ」
…確かに。

ビジネスマンだからって、自己啓発本や営業本しか読まないわけじゃない。
「今後、英語が社内公用語になる会社が増えそうだと聞いています。外資系では以前から社内公用語が英語という会社のほうが多いようですから、ビジネス英語がますます重要になると考えてノミネートさせていただきました」
読んでいますね、トレンド。

店長が寄ってきた。
「お邪魔してます、店長」
先に声を掛けたのは芳川だった。

「お二人とも熱心ですね。昨年も最後までデッドヒートが続きましたよね?」
「店長、今年はどうご覧になっていますか?」
陽子はさっきの店と同じ質問を投げた。
「…うーん。正直言うと、うちでは特にどれを推すかは決めていませんね。なるべく平等に扱いたい、と」
極めて慎重な発言だった。

店によって様々だが、自店の売りを鮮明にする店長もいるし、あえてそうしない店長もいる。しかしながら当然、どの出版社の営業マンも、自社の本を推して欲しいと考えている。そのために、しょっちゅう訪問しているのだ。

すかさず陽子がPOPをお願いすると、快く引き受けてくれた。本当は追加注文の話をしたかったが、ゴリ押しは危険だと判断し、しなかった。

芳川が「では失礼します」と店を出ようとしたので、陽子も店長にあいさつし、二人は最寄り駅まで一緒に歩いた。

あれ。そういえば…
同じ書店、同じようなエリアを担当しているし、色んなお店で何度も遭遇しているのに、陽子は芳川とこうして並んで歩いたのは初めてだった。
飲み会でも、芳川は丸山にくっついて歩いていた。
ちょっと緊張する。ライバルだから?
…ライバルだなんて。

話しているうちに駅に到着し、芳川は都心方面へ、陽子は郊外方面の電車へと分かれた。
この日は予定通りに10店舗を回り、翌日も残りの店を訪問して全店にPOPを届けることができた。その際、数店舗から追加注文をもらえた。

〈よし、いいペースがつかめそう〉
店舗ごとに直送の手配をしながら、陽子は手応えを感じていた。


2015年6月29日月曜日

一年目女子のビジネスダービー4

3.丸山塾


2月12日
一月の寒い夜、とある喫茶店で若手の営業担当が8名、書店員が3名集ってベストセラーをつくる塾の活動が始まった。丸山のチェーン本部を担当している営業マンが多く参加していて、陽子も一緒に参加していた。入社1年目から3年目ぐらいのメンバーが集まっていた。

一回目の講義は「売り伸ばしの技術」で10万部計画とミリオンセラーのつくり方が開設されていた。質疑応答が終わって塾生たちは会合の最後に宿題の提出を求められ、そのタイトルが「私のミリオンセラー計画」だった。

ミリオンセラーという言葉の響きは陽子にはとても優雅に聞こえた。自分の出版社では未だミリオンセラーを出したことはなく、ビジネス系の書籍では松下幸之助の作品しかミリオンセラーになっていないようだ。

宿題の提出期限は次回の会合の一週間前、つまり、今日だ。陽子にも予感めいたものが感じられて、ミリオンセラづくりのチャレンジしたい作品のイメージは、宿題の提出を求められた時点ですでに出来上がっていた。

アキバの書店でめちゃくちゃ売れている『マネジメントの力』が陽子の押す作品だ。当初は同時期に発売された売れ筋作家の作品の優先順位が高く、重版も後回しになっていたような気がするが、一月中旬からは売れ行きに合わせた重版ができている。

売れているのはわかっているし、売り伸ばしは十分可能だと思うのだが、計画書の書き方をどうしたらよいのかイマイチ不安な要素だ。

悩みながら書き込んで、
「えーい、何とかなれ」
勢いでだ計画のチェックもあまりせずに丸山宛にメールで送信した。

2月16日。
丸山との定例の打ち合わせは加藤と一緒に伺った11月以来、四階のラウンジが常席になった。

新刊の打ち合わせだけでなく、『マネジメントの力』の拡販についても打ち合わせをしたかった。12月、1月と『マネジメントの力』は売上が伸びていた。新刊案内をじっと睨む丸山の表情をチェックしながら、どの時点で拡販の話を切り出そうかと、陽子はコーヒーを飲むのも忘れていた。

「この図解の本、面白そうだなあ」
先に口を開いたのは丸山だった。

「主要店のうち2店舗に50冊、3店舗に30冊、指定させてください。どちらにせよ都心のほうが売れるだろうから、この部数で始めて、売れる店が出てきたら主要店から回すようにしたいんだけど…どう?」

「実は私もその数字で提案したいと思っていました」
「そうですか。それと12行目の社長本は、全店分の指定をお願いしたいですね。大丈夫だよね? 刷り部数が多いし」

「どれくらいでしょうか?」
「…そうだなあ。ざっと400冊から500冊の間あたりかな」
「それなら大丈夫です」
「じゃ、2~3日のうちにエクセルシートを送りますよ」
「了解しました」

『マネジメントの力』の売れ行きはどうでしょうか」
恐る恐る聞いたのだが、丸山は力強く
「売れてますね。1月中旬までは在庫が充分でなかったようで追加の入りが悪かったけど、今はずいぶんと積極的になったようだね」
と言って、チェーン一括での注文を出すことを約束してくれた。

自分の担当エリアで力強く売り伸ばしを推進してくれると、始業マンにとってその後押しがとても力になるような気がして、幸先がいいと思った。

3月31日。
いよいよ明日から4月という時、陽子は丸山から神宮球場でのプロ野球観戦に誘われた。
4席分の年間シートを出版社から景品としていただいたので誘ってくれたようだ。河崎も一緒だ。陽子は先輩の河崎に何かと相談している。加藤も誘ったのだがスケジュールが合わなかった。

プロ野球を見るのは、リトルリーグに在籍していた小学校6年生の時以来だった。当時、陽子は本気で野球選手になりたいと思っていた。食べ物や飲み物を持って待っていると、約束の時間に丸山が現れ、そろって球場へと入った。

座席はネット裏のいちばん三塁側寄りで下から10段目。選手の顔がよく見える。選手たちはまだ練習をしている。大学まで野球をしていた河崎はウキウキしている。ふと見ると丸山も真剣な表情だ。二人はじっと選手の動きを追っていた。

ホームチームのシートノックが終わるころ、
「寒かったら上に着て、足元が寒ければ巻いてもいいから」
と、丸山がスタッフジャンパーを陽子に手渡してくれた。寒くない?と、球場に入る際に聞かれていた。
ちょっとした気遣いだったが、陽子は素直に嬉しかった。

いよいよ試合開始。選手たちが肩慣らしのボール回しをしていると、小学生が球審と一緒にマウンドに歩いて行く。始球式だ。ノーバウンドで届くといいな。陽子の心配をよそに、なかなかの速球でストライク。最近の小学生って凄いんですね。

その日の試合はホームランが何本も出る大味な内容だったが、丸山が応援する東京ヤクルトスワローズが序盤のリードを守り続けて勝った。丸山は終始ご機嫌だった。丸山は国鉄時代からのスワローズのファンだと言っていた。
国鉄スワローズってそんな時代があったことを陽子は初めて知った。

球場にいた3時間の間に、食べ物もビールもすっかり平らげてしまったが、その後、渋谷駅の近くまでタクシーで乗りつけ、洋風居酒屋で三人は飲みモードに入った。

その席では翌日から始まるビジネスダービーの話しに盛り上がった。陽子が必ずダービーで一位を取ると宣言した話しを肴にして、丸山も川崎もさらにビールをお変わりしている。
陽子は二人ともどんだけ飲むんだろうとあきれていた。

2015年6月28日日曜日

一年目営業女子のビジネスダービー 3

2.チェーン本部担当

独り立ち
陽子への引き継ぎは1日で終了したが、色々と担当を持っていた加藤は、それぞれの引き継ぎに9月一杯かかってしまった。完全に異動が完了したのは10月になってからだと後で聞いた。

沿線各店の担当はそのままで、そこに本部担当だけが増えた形だから、従来通りの仕事に加えて月に一回程度、ひと言多い丸山との打ち合わせが加わるだけだ,と陽子は思っていた。

しかし、その見通しは甘かった。新刊の追加注文だけでなく、T出版における山村書店の法人別順位を上げて欲しいという丸山の要望に基づいた各種の拡販対策への対応もあり、急激に仕事が増えた。

それでもそれらの仕事には、うんざり感を感じなかった。陽子はそれまでの仕事生活が、ガラッと変わる気がしていた。うまく表現できないが、手応えを感じる仕事が増えた気がしていたのだ。

10月中旬には、陽子一人による初めての定例打合せを経験した。しかし、それはほろ苦いデビューだった。打ち合わせの席上、お互いに見逃してしまった売れ筋商品があったのだ。丸山はそれをぼやいていた。

「11月の新刊には目玉商品があったからね。それに集中しちゃったから、売れ筋を見逃してしまったんだな」
特に注目せずに、配本任せにしてしまった商品の中から、売れ筋が2点も出てきたのだ。
直後に一括追加注文を丸山が出したおかげで、手持ち在庫の中から商品を確保できたことで、何とか難を逃れることができたが、後手に回っていたら商品確保ができず、重版待ちだった。そうなると店で品切れを起こし、お客さまに迷惑をかけてしまう。

不思議なのは、売れ筋商品がある場合、新刊発売日の翌日には丸山からの追加注文が届くことだった。なぜそんなことができるのか? 陽子が素直に聞くと、丸山はいい質問だねと、その仕組みを説明してくれた。

「通常の出版社は、配本後に3日目調査をして手持ち在庫から出庫するパターンが多いよね。いわゆる調整出庫。だからそれまでの注文は、どんなに早くても保留されてしまう。しかしビジネス系の出版社ってそういうことをせずに、注文が来たものから順に出庫するパターンが多い。御社も多分そうじゃないかな?」

確かにそうだ。ビジネスマン向けの本は大部分が短サイクル化している。早め、早めはうちの営業メンバーの口ぐせだ。

「うちの店にね、発売日の前日に新刊が届く店があるんだよ。その店の初速を当日売上で見ていると、何時までに何冊売れたかがわかる。翌日、つまり発売当日の売上も見て判断すれば、その本がどの程度売れるかが見えるんだよ。あとは入荷数と売上数の店別データを出して、各版元向けに注文書を作るというわけ」

だから発売日の翌日に注文書が届くんですね。また一つ、カラクリを知って、陽子は嬉しくなった。

ちなみに1カ月後の調査で、事前確保した新刊の目玉商品よりも、打ち合わせで互いに見逃してしまった新刊のほうが、大きな売上となってしまった。反省…。目利きの大切さをもっと学ばなければならない。打ち合わせの大切さを陽子はしみじみ感じた。

月一の訪問
翌1Ⅰ月の丸山との定例打ち合わせは、前回のような緊張はなかった。約束の時間に丸山を訪ねると、ちょっと疲れた様子だった。しかし相手が疲れているからといって、こっちまでお疲れモードになっちゃいけない。二人でだらんとすると、つける数字に影響する。
〈感情は感染する〉
…誰の言葉だっけ?

陽子は小さく咳払いし、では始めさせてくださいと、よく通る声で丸山に新刊案内を渡すと、ハッとした表情の丸山はペーパーに目を落とした。

「12月上旬の新刊って、今からでも間に合いますか?」
「早めにいただければ何とか間に合わせます。できれば明日までに注文書をいただけると助かりますが…」

「了解。この商品はすぐにエクセルシートで送ります。それと…この、4行目の『マネジメントの力』は面白そうだなあ。でも刷り部数が少ないね。一括は無理?」
「確かに面白いんですが、あの…萌え系の表紙なんですよ」
萌え系?と丸山が顔を上げた。

「数を用意していないと思いますので、一括はちょっと…難しいかもしれません」
そう聞くと、丸山は少し考えこみ、だったらB店に50冊だけつけてと言った。
「あと、ゲラがあったらくれないかな? これ読んでみたいから」

「すぐに手配します。私もゲラを読まされました。とても面白いと思いましたが、萌え系の表紙にお客さまがどういう反応を示すかで、売れ行きが決まるように思いました」
しかし丸山は、この新刊案内の文章を読んだだけで、僕はいけると思うけど…と、こともなげに答えた。

意外なほど食いつきが強い。その様子を見て、陽子は嬉しくなった。萌え系の表紙については女子として気にはなっていたが、ゲラを読んだ限りでは面白かったのだ。

「ほかはどうですか?」
「うーん。食指が動くものは…ないなあ」
でも先月は取りこぼしがあったからなあ、と丸山は頭をかきながら
「動きが出たらすぐに追加注文しますよ」
と姿勢を正した。

売れる作品が欲しい
当たり前の話だが、出版社側は売れると判断して本を作っている。しかしこうして書店の担当者と話すと、同じような内容、似たようなタイトルがこうも立て続けに出版されることで、どの書店もいい加減うんざりしているのだろう。もちろん、読者もうんざりだろう。メーカーとしての責任を感じてしまう。

そうは言っても、このまま前年比80%台じゃ、ボーナスが出るかどうかわからない。3月末までに業績を回復させるためにも、大部数の重版が必要だ。
陽子も毎週のようにデータをチェックし、仕掛け売りの候補作品を挙げているが、丸山の眼鏡にかなう作品は今のところゼロだ。

山村書店の店長たちにも、営業に行くたびに仕掛け売りの相談をしているが、誰一人、乗ってくれない。私の本の選び方が悪いのだろうか?
うーん。
ベストセラーが欲しい。…願うだけじゃ、出ないことぐらい、わかっているけど。

山村書店恒例の「ビジネスダービーのご案内」が、丸山からメールで送られて来た。出版各社が山村チェーン全店で数字を競い、「ビジネスダービー第1位」を奪い合う戦いだ。
前半部分には昨年の実績が書き込まれており、拡販キャンペーンの素晴らしい実績がグラフで表現されている。それを見た陽子は、二連覇したいという気持ちが改めて湧いてきた。

加藤に続きたい。素直にそう感じていた。
案内の後半部分に今年の概要が記されている。ノミネート作品の条件は、12月以前の発行のもの、判型はB6からA5サイズまで、本体価格が1000円以上、山村書店で累計売上750冊未満のもの、となっていた。

1社で2点までノミネートできるそうだ。店の担当者からは1点だけノミネート可能。スケジュールは昨年と同じで、2月末までにノミネート作品を提出しなければならない。3月上旬にはチェーン各店のビジネス書担当者が集まり、最終候補作品の選定会議があるらしい。
 

2015年6月27日土曜日

一年目営業女子のビジネスダービー 2

1. 一年目営業女子

9月18日
抜けるような青空だった。
陽子は異動の決まった加藤に連れられ、山村書店の本部に向かった。

「お、いらっしゃい」
仕入部のあるドアを開けると、すぐ近くに丸山が立っていた。
「ちょっと待って、打ち合わせに出る前に紹介しといたほうがいいよね」
丸山は仕入部のスタッフに、ちょっと聞いてくださいと声をかけた。

「えーと、これまで担当していただいた加藤さんは、このたび週刊誌の記者として異動されます。で、後任は入社1年目の山岡陽子さんです。ピカピカの1年生です。6月ごろから、沿線の店を担当していただいております。加藤さん同様、山岡さんも積極的ですし、抜群のプロポーションとこのかわいい笑顔で、すでに店長たちには抜群の人気になっています。以後、よろしくお願いします」

ささやかな拍手。ありがとうございますと加藤が頭を下げる。陽子も慌てて深々と頭を下げた。
「初めまして、山岡と申します。まだ駆け出しですが、加藤のあとを継ぎ、全力で頑張りたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!」
陽子はその場で5人のスタッフと名刺を交換した。

打ち合わせは上の階にあるラウンジだった。
「いよいよ週刊誌の記者ですか」
日替わりランチを3つ注文した丸山は、何やら楽しげに見えた。
「中途半端な時期だったので、異動はないだろうと思っていたんですが…」

色々あるんだろうねとつぶやく丸山の表情は、まるで背景を探る刑事のようだった。
「新人さんが思いのほか早く戦力になったことで、加藤さんが弾き出されちゃったんじゃないかな?」
「弾かれたんですか?」
加藤の表情が曇ると、いや悪い意味じゃなくてねと丸山が慌てた。

「ビジネスダービーで1位を取ったでしょ? アキバでの企画提案も良かったって聞いているし、法人担当としても地区担当としても、営業としての仕事はマスターしたなと判断されたのではないかなと。仕方がないよね、こればっかりは」
丸山がそう話すと、加藤の表情が晴れた。

「そう言っていただくと嬉しいのですが、やっぱり中途半端な時期でしたので…予想もしていませんでしたから、気持ちが落ち着くまでに、少し時間がかかりました」
そんなものかもしれないねと、丸山は陽子をチラッと見た。

食べながら話すのは苦手
「それはそうと山岡さん、うちのチェーン店は色々な企画があるから、ちょっと大変かもしれないよ」
「脅かさないでください。彼女、まだ1年目ですから」
加藤がフォローする。

色々な企画? お酒なら強いほうだから大丈夫ですけど…
「そういう加藤さんだって、1年生の時にうちの担当になったじゃない」
「それはそうですが…」
コップの水をごくりと飲みながら、丸山が
「新人さんにはちょうどいい規模なんだろうね」
と笑った。

確かに店数も売上もほどほどにある。色々な企画があるんだったら、営業担当者が活躍できる機会も多いだろう。陽子の頭に、大学時代、教養課程で習った組織論が浮かんだ。
〈強い組織とは経験させることができる組織である〉
…誰の言葉だっけ?

料理が運ばれてきた。食事の間は無口になるのかと思ったら、丸山の口は止まらない。
食べながら話すのは苦手だ。食べる時は食べることに集中したい。でも、話しかけられると答えざるを得ないので、食事のペースが落ちていく。

しかし、丸山のペースは全然落ちない。
どんな食べ方してるんだ、この人?

「加藤さんから聞いているかもしれないけど、うちの店には仕掛け売りが得意な連中が多いから、これはという書籍があったらどんどん言ってね。書店発のベストセラーを作ろう」
シカケ売り? 
書店発のベストセラー?…
生来の興味深さが顔に出たのか、丸山は陽子をじっと見た。

「面白いよ。まず仕掛け売りの得意な店を何店舗か選ぶ。そこに大部数を投入して拠点を作るんですよ。その拠点で突出した売上ができたら、次は全店規模で拡販体制に入るんだな」

カクハン体制??

「さらにそこでも実績が出たら、今度は他のチェーン店に働きかけて、仕掛け売りの店数をどんどん増やしていく。週刊ベストにランキング入りができて、第1位になる店が出てきたら、店名入りでベストテン第1位の文字が入った新聞広告を出すんです。全体的に売上が上がり、何度か広告を出すことができれば、全国から注文が集まるから、仕掛け売りの輪が全国に広がっていくんだね。そこまでできれば10万部が見えますよ。楽しそうでしょ?」

10万部?…
「やり方については、またの機会に詳しく説明します」
丸山と加藤が他社の本の話に移っても、陽子の頭には10万部が響いていた。

打ち合わせ
食後のコーヒーが運ばれてきた。
引き継ぎだけじゃなく、今日は来月出る予定の新刊の打ち合わせも兼ねていた。

丸山がしみじみと言った。
「最後の打ち合わせか。気合い入れてやりますか!」
「いや、普通にお願いします」
苦笑する加藤が鞄から新刊案内を出し、丸山に渡す。丸山は上から下まで凝視し、2枚目にも目を通すと、ゆっくり口を開いた。

「手帳だけど、これまであまり力が入っていなかったような気がするから、今年はチェーンでまとめてみたいなと思うんだけど。どう?」
「ありがとうございます! 私もそうしていただきたいと思ってました」

「ではそういうことで。それから…5行目の『超越する言葉』と、11行目の『勉強術』あたりも、指定させてもらいます」
「部数はどの程度、考えてらっしゃいます?」
「時代が350冊くらい、勉強が500冊くらい」
「多分、大丈夫だと思います」

他に注目作品はありませんかと加藤。とりあえず配本で様子を見させてと丸山。二人のやりとりには心地良いリズムがある。
〈私はこんな風にできるのかな?〉
陽子はちょっと不安になった。

「山岡さん宛にしますか、それとも加藤さんにしますか?」
加藤と目が合った。発注のエクセルシート、と丸山に言われ、陽子はハッとした。

「あ…あの、山岡宛にお願いします」
そう答えた時の丸山は、気のせいか、お前大丈夫かよといった表情だった。自分も目の前の頼りなげな姿を眼にしたら、きっと同じように思うだろう。
じゃあこのへんでと丸山がコーヒーを飲み干す。

「9カ月か。長いようで短かったね」
「お世話になりました。おかげで色々なことを経験させていただきましたし、たくさんの方と接することができましたし」
「一番の思い出って何だった?」
尋ねられた加藤は、もちろんあれですと笑顔で答えた。

「ビジネスダービーです。勝つのと負けるのとで、こんなにも違うのかと思い知らされましたよ。会社にとっては念願の初制覇だったし、最後までもつれての勝利でしたから。嬉しかったですね。拡販キャンペーンでは帯がなくなってしまうほど売れたことも、印象に残っています。第1位帯の販売力の強さって凄いなと、つくづく感じました」

「何はともあれ、異動先でも頑張って。応援してるから」
「ありがとうございました」
加藤が深々と頭を下げる。すごいな加藤さん。たくさん吸収したんだろうな。
「山岡さん、私は目が輝いている人が好きです。これからよろしく」
「あ…はい。よろしくお願いします!」

会社への帰途、陽子は加藤から、丸山がベテランの書店マンであるだけでなく、書店や出版社の若手を育てるためのある仕掛けをやろうとしていると聞かされた。

「どんなことですか?」
陽子が尋ねると、加藤はそのうちわかるよと謎の微笑みを返した。
電車の扉が開き、不思議そうな顔で歩く陽子に、加藤がクロレッツを渡す。

「陽子は大丈夫だよ」
え。
何か、もの凄くしんどいことが待ってるんでしょうか…?
ちょっと不安になってきた。


2015年6月26日金曜日

一年目営業女子のビジネスダービー 1

プロローグ

懇親会
忘年会シーズンが始まる12月上旬、陽子は広い会場の前に設置された表彰台に上がっていた。拍手喝采に包まれる中、携帯のカメラやデジカメのフラッシュが交錯する。
〈おいしい部分をいただいてしまった…〉

ゆっくりと会場を見回してみる。当然と言えば当然だが、知らない顔ばかりだ。
〈何だか気持ちいい〉
それまでの緊張感がスーッと消えていく。実に気分が良かった。
先輩の加藤が担当した時に作った実績という事実も、緊張感と一緒に頭から消えていた。

関東エリアの中堅チェーンである山村書店は、毎年12月に取引先である出版社を集めて懇親会を開いていた。出版社の営業担当者、小田急線沿線に点在する各店の店長、さらに本部スタッフが集まる中、1年間の業績を発表し、景品付きの大抽選会を行う、いわば慰労会だ。

毎年、山村書店の本部から各出版社に、10月の終わりごろ招待状が発送される。T出版にも招待状が届き、営業部のミーティングで検討した結果、部長の鈴木とともに陽子が初参加することになった。

ほんの3ケ月前、加藤から山村書店の担当を引き継いだばかりだった。
会場に着くと、すでに多くの出版社の営業マンや店長たちがドリンクを片手にあちこちで話をしていた。鈴木と陽子がドリンクを受け取ると、会場の右奥の方に歩いていき、空いているテーブルに陣取った。

何人かの知り合いがあるらしく鈴木が軽く会釈をしている。陽子の知らない他社の営業担当者が二人のもとに寄ってきた。
〈こんばんは…〉
軽く挨拶を交わして、初めての人とはすかさず名刺交換をする。取り留めのない話をして、また人が入れ替わる。

丸山がニコニコしながらやって来た。
「いつも何人くらい集まるんですか?」
陽子は出合い頭に丸山に尋ねた。
「出版社から200人、店から50人くらいかなあ。今年もちょっと絞ると話には聞いていたけど、結局、いつもとと同じくらいの人数が集まっているみたいだね」
「大盛況ですね」 

 表彰台
ふいに丸山が、あ、そうかとつぶやいた。
「山岡さん、初めてだったね」
「そうです、初参加です」
なら、ちょうどいいかなと、思いついたように言った。

「今年から趣向が変わってね、山村ダービーの表彰式が加わったんだよ。ビジネスダービーも含まれているから、山岡さん、出てくれないかな?」
陽子のT出版は担当だった加藤を筆頭にチームで戦いその年のビジネスダービー第1位を獲得していた。

当然ながら、表彰台には営業部代表として鈴木が立つものと思っていた陽子は、この急転直下の提案に心臓がドキドキし始めた。
「無理ですよ! 鈴木が来ていますから。私の実績でも何でもないですし…」
陽子が拒むと、丸山はニヤッとした。

「表彰式では4人の方にご登壇願う予定です。一人は代表取締役会長、もう一人は営業推進部長です。どちらも男性なのですが、もうひと方は本部担当の若い女性が出ることになっています。全体のバランスを取るためにも、山岡さん、ぜひ登壇してくれませんか?」

部長、いかがですかと振られた鈴木は、それで結構ですと丸山に笑顔で答えた。
え。
私、今年の春に入社したばかりのペーペーなんですけど…
おかしくてたまらないといった表情で、丸山はさすがですねと鈴木を褒めた。

「ではよろしくお願いします。少しだけスピーチを要求されるかもしれませんが、その時は適当にお願いします。時間になったらお呼びしますから、それまでお酒と料理を楽しんでください」
「は、はい…」

そういえば以前、書店回りの際に営業部の先輩が教えてくれた。
書店からもらう表彰状は、出版社の営業マンにとって貴重なもので、言ってみれば勲章みたいなものだと。

〈勲章か…凄いなあ加藤さんは。フォローした営業部や会社も凄いけど〉
気がつくとプログラムが進み、いよいよ表彰式が始まった。
最初に雑学ダービー第一位を獲得したK社が呼ばれ、次にビジネスダービー第一位でT出版が呼ばれた。

スピーチ
ガチガチの様子を見ていたのか、丸山はまるでお姫様に接するように陽子の手を取り、壇の手前までエスコートしてくれた。恥ずかしいのと緊張感で、爆笑する周囲を見ることができず、陽子は下を向いたまま赤面していた。

壇上に4社が並び、順番に表彰状と副賞を受け取る。次々にフラッシュがたかれ、司会者から
「ひと言コメントを」
とお願いされると、受賞社の代表はそれぞれコメントする。おじさまたちのコメントは立派ですごく長かった。

〈あんなに喋れない…どうしよう〉
「では次に、ビジネスダービー第一位のT出版の山岡さんから、ひと言コメントをいただきます」
陽子の番だった。ええい。

「T出版の山岡でございます。このたびは素晴らしい賞をいただき、一同感謝いたしております。実はつい最近、担当になったばかりです。前任者の仕事での表彰で、こんなに晴れがましい壇上に上らせていただきました。山村書店の皆様、本当にありがとうございます。改めて御礼申し上げます」

次の言葉が出て来ない。決めていた台詞は、そこまでだった。
「…えーと来年は…来年はですね、自分の力で第1位を勝ち取り、2年連続でこの表彰台に上ります!」

その瞬間、会場がオォーッと湧いた。隣に立っている会長さんもびっくりしている。
〈しまった…〉
遅かった。どうしていつも良く考える前に、口から出るんだろう。

陽子は覚悟を決めた。宣言したからには何が何でも1位を取ろう。ペーペーだろうと何だろうと関係ない。後悔という字は昔から嫌いだった。
満場の拍手の中、苦笑する鈴木や、親指を立てて「よし、男らしいぞ」と叫ぶ丸山が見える。

私、女なんですけど…

とりあえず明日からまた、営業頑張ります!