2015年7月3日金曜日

一年目女子のビジネスダービー8

7.新人へ伝えること

アドバイス
陽子は丸山に、新人営業担当に向けてアドバイスをとお願いした。
「書店営業なら、まず書店の担当者を好きになることかな」
ややこしいひと言が丸山から返ってきた。

「相手を大切に思うということです。言い換えると、相手の立場に立って物事を進めるということですね。小林さんは、お客さま志向という言葉を知っていますよね?」
「はい」
小林が大きく頷く。

「自分、というか自社の一方的な都合だけを話したり、売りたい気持ちが前に出過ぎると、いい話を持って行っても書店の担当者から嫌われます。書店にもルーティン、つまり日常業務がありますから、それに支障をきたさないような配慮が必要です。事前にアポイントを取ることもお勧めします。小林さんは、書店研修されたんですか?」

「それが、…毎年、受けていただいていた書店さんから、忙しい時期だから受け入れられないと断られたそうです」
陽子が答えると、私に言ってくれればいつでも受けたのにと、丸山が残念そうに話した。 
…すみません。私の配慮が足りませんでした。

「小林さん、ぜひ一度研修に行くといいですよ。書店員のルーティンワークがわかるし、営業に出た時に時間配分しやすくなるから。相手を理解した上で訪問ルートを作っておけば、空振りが避けられます」
「どういう時間帯に気をつければいいのでしょうか?」
ペンを走らせていた小林が、顔を上げて尋ねた。

「入荷便を片付けている時、交代で休憩を取っている時、店がとっても混んでいる時間は、外したほうがいいでしょう。書店の連中って、結構時間に追い詰められて仕事をしていることが多いし、これをしなくては、あれもしなくてはと、いつもバタバタで考えている人が多いんです。だからそういうタイミングで行くと、確実に嫌われます」
チーズケーキを口に運びながら、丸山がだよねと山中に振ると、山中が大きく頷いた。
それとねと、丸山が続ける。

「これから少しずつ、地域特性を学ぶといいですよ」
「地域特性?」
小林さん、興味深そうな表情だ。きたきた。私も昨年、丸山さんに聞かされました。

「東京駅周辺と渋谷や恵比寿では、本の売れ筋が変わってきます。当然、新宿とも違います。東京駅周辺はいわば大手企業の社員が多いエリアですよね。渋谷や恵比寿は外資系や起業に成功した新しい業態の人たちが多いし、若い人が多い。微妙にニーズが違うから、当然、売れ筋も違います。沿線の駅周辺なら帰宅前に寄るサラリーマンが多いから、夜の売上が高くなります。エグゼクティブ、つまり高所得者が多く住んでいる住宅街と、アパートやコーポが多いエリアでは、やはり売れ筋が違います。地域による店の売れ筋の特徴をつかみ、それぞれに合った商品をお勧めすると、はずれがなくなりますよ」
「はい」

コンテスト
20年ぐらい前の書店はまだまだ余裕があって、メンバーが多くいて、それぞれが楽しんで仕事をしていた。誰が一番人気がある営業マンなのか白黒つけてみようと考えた人間がいて、この企画に賛同した一部のメンバーが投票した。

人気投票の結果、H社のTさんが第Ⅰ位になった。ちょっと背が低くて、それなりの顔つきはしているのですが。モテ顔とまで言えるようではありませんでしたし、書店の女性陣も容姿で選ぶような人間はいなかったような気がする。

人気投票には第Ⅰ位の理由も明記してあったので、なぜ第Ⅰ位なのかは明確に示すことができた。投票用紙に書き込まれていた人気の理由はどれも納得、そうだよなと感じる事柄ばかりだった。

・押しつけがましくない
・書店員を立ててくれる
・さらりと新刊案内をしてくれる
・約束は必ず守る
・他社情報も充実
・適切なデータを提供してくれる
・確実に商品を確保、供給してくれる
・店の特性に合わせた商品をおすすめしてくれる

こんな営業マンがいたらいいなと思える内容は基本的に今も変わらないと思う。

自社商品だけでなく、他社商品も含めて幅広く売れ筋商品を把握している営業マンは情報提供力が優れている。すると、店担当者とのコミュニケーションレベルが上がって、書店員がその気になる営業提案が多くなり、販売実績を大きくする力となる。

追い打ち
あとね、店の規模によって注目する商品も変わります。小型店は売れている商品をより重点的に売るのが一般的だから、低単価の自己啓発本が割と良く売れます。ビジネス街の大型店は3000円から5000円するような本も良く売れます。だから実務書や理論書と呼ばれるタイプの品揃えが重要です。なぜだか、わかりますか?
答えたい衝動を陽子は抑えた。小林は何だろうという顔つきだ。

会社の経費で買う、いわゆる領収書買いが多いからです。個人が本を買う時って、よっぽど趣味的なもの以外は、単価が高いものを敬遠しがちでしょ?

でもある程度、経費を使うことができると、高くても必要なものは買える。一流と呼ばれる企業のビジネスマンほど、知的レベルも高いし、知識欲が旺盛な人が多い。
だから次々に現れる新しい理論に対して貪欲だし、書店にとっては上得意のお客さんになるというわけ。

ペンをとるのも忘れて、小林は丸山の話に聞き入っていた。
…最後にもう一つ。どの店でどんな商品がどんなふうに売れているのか、そんな他社や他店の情報を、どの店の担当者も欲しがります。どの店で何を仕掛けて売っているとか、こんなフェアをやっているとか…。

営業に出ると色々な店を回ると思いますから、そこで仕入れた情報を他店の担当者に教えてあげると喜びますよ。
小林が腑に落ちた表情をしている。

少しずつ覚えればいいのではと、山中の声が優しかった。
ですよね。…私もたくさんのお店を回って覚えさせていただきました。

「そろそろこの辺で、よろしいでしょうか?」
丸山から言われてハッとした陽子が壁の時計を見ると、午後3時半を回っていた。1時間半も話し込んでしまった。

打ち合わせが終わると、陽子は小林を連れて周辺の書店を訪問した。
新入社員の紹介を兼ねて、ビジネスダービーの展開強化に関する相談が目的だった。沿線の店の多くは袖広告の効果が出ており、どこも好意的で、陳列場所も陳列量も充分満足できる状態だった。

3店舗ほど回り、二人は会社に戻ることにした。電車の中で、陽子は小林に、今日の収穫は何だった?と尋ねた。小林は疲れた様子だったが、やっぱり山岡さんと丸山さんの打ち合わせですと笑顔で答えた。

「その、リズム感があるというか。あと、類推的な判断なんていう言葉が出てくるとは思いませんでした」

リズム感。…私の時と同じだ。陽子はちょっと嬉しくなった。

「丸山さんには何でも聞いていいと思うよ。まあ、ひと言多いところは気になるけど、歳も歳だし、そこはしょうがないよね」



小林が、確かにひと言多いですよねと言うと、二人は顔を見合せて笑った。

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