2015年7月8日水曜日

一年目営業女子のビジネスダービー   13

エピローグ
陽子が雑誌編集部に異動して4カ月が過ぎた。
先輩に同行してあちらこちらに行き、幅広い業界人と名刺交換する。ジャーナリストやライターという立場の人々と様々な企画について意見交換する。編集長にくっついて、企業トップへのインタビューや著名人同士の対談という場を体験させてもらう。

編集会議での先輩同士の議論を間近で経験する。取材原稿の書き直しに頭を抱える。企画会議、取材、入稿、校了、発売、と定期刊行誌のサイクルを実感する。
何もかもが初めての刺激的な時間にようやく慣れようとしていたころ、久しぶりに丸山から飲み会のお誘いのメールが届いた。

ふと、書店から書店へと走り回り、塾の宿題に悩む、あのころの自分を思い出した。
〈何だか懐かしい…。終わっちゃうのは、ちょっと寂しいけど〉
校了前で忙しかったが、陽子は何とか都合をつけて参加することにした。

10月4日。
集まったメンバーは芳川、青木、小泉、丸山、それに陽子の5人だった。週の始まりでそれぞれ忙しいらしく、少人数での集合だった。

メンバーと久々に会った陽子は、相変わらず忙しそうな彼らの顔を見て嬉しかったと同時にホッとした。陽子にとって、彼らは丸山塾という共通項でつながる仲間であり、売り伸ばしの実践のライバルであり、何といっても営業の同志だった。

塾での講義内容やバラエティに富んだ質疑応答は、編集部に異動してからも身になっていた。どこの店長が異動したとか、あそこの本が売れているとか、たわいもない話をしているうちに、陽子は何だか営業担当に戻ったような気分になった。
丸山が、ではそろそろとみんなの顔を見回した。

「皆さん、お久しぶりです。8月27日に丸山塾を開催したのですが、参加者が4名だけで黒の会になってしまいました。女性が一人も参加しなかったのです。山岡さんが編集部に異動されたので、きちんとお別れをしたい。そんな意見もあって、もう一度集まることにしました。今回は参加しやすい日程を選んで開催したつもりでしたが、それでも一人減り、二人減って、この人数になってしまいました」

すると丸山の携帯が鳴った。長谷川から、遅れて7時ごろになりそうだという伝言だった。
丸山が再び、話し始めた。

「…講義は4回行い、用意したテキストもすでに終了しました。宿題のミリオンセラー計画は継続して実施されています。途中、私が定年退職して嘱託へと身分が変わり、しかも山中への引き継ぎなどがありましたので、時間が取れず塾を開催することができませんでした。どこかで区切りをつけたいと思っていたのですが、B店に配属されてようやく時間が取れるようになりました。秋になってしまいましたが、今回を最終回としたいと思います」

『マネジメントの力』は7月下旬にミリオンセラーを達成していた。『ダイエット食堂』もミリオンを達成し、『カント』は60万部を超えていた。
良かったね山岡さん、と丸山に振られた陽子は、塾で勉強したことを生かせましたと素直に感謝した。

「ミリオンセラー達成の時は、パーティをやったんですか?」
芳川が尋ねた。
「はい。会議室で行われました。実は校了と重なって出席できず、最後にお食事だけいただきました」

あと、と陽子が続ける。
「…この塾は刺激を与えてくれた、というのが率直な感想です。本当に感謝しています」
丸山が目を細めていた。青木や小泉も頷いている。

「芳川さんは、塾に参加していかがでしたか?」
丸山が芳川に質問した。

「私はどちらかというと我が道を行ってしまう傾向があります。だから塾生の皆さんの活動やミリオンセラー計画の説明は、新鮮なものとして聞かせていただきました。…その、いわば『気づき』をたくさんもらえました。ありがとうございました」

「ミリオンセラー計画の状況はどうなっていますか」
丸山が続けると、芳川はおかげさまでと笑顔になった。

『カント』はつい先日、関西方面限定だがテレビ番組で特集が組まれた影響もあり、売上が跳ね上がっていた。梅田のある書店では1日250冊、2日間で500冊も売れた。すぐに重版が決まり、累計すると67万部となっていた。

青木は、これで終わりかと思うと残念だから、OB会をしようと提案し、小泉は、いつか売れている本を探して計画を発動したいと決意を表明した。
それぞれ、胸に秘めた思いがあった。個別に相談があればいつでもどうぞという丸山のコメントに、みんなちょっと救われた気がしたと思う。

7時を過ぎても長谷川が来ない。芳川が長谷川の携帯にメールで行き先を告げ、5人はいつもの店に行った。

2階に上がって席に座り、まずは生ビールを頼む。
ビールがくると、丸山が口火を切った。
「さてと、まずは乾杯しましょう」
グラスを合わせると、そこからは話が弾んだ。

校了前でもあり、陽子がそろそろ退席しようかと考えていると、丸山から山岡さん、と声をかけられた。
「実はね、山岡さんの分の表彰状を用意してあります。ここで読み上げて表彰式を行いたいと思いますが…皆さん、いかがでしょうか?」
おおーっと三人が拍手した。

〈…表彰状?〉
困惑する陽子を前に、丸山は鞄からクリアファイルを取り出した。

「…では読み上げます。表彰状、最優秀賞、山岡陽子殿。あなたは丸山企画のビジネスダービーにおいて、営業女子一年目でありながら、歴戦の猛者と渡り合い、見事に二年連続の第一位を獲得しました。よってここに深く敬意と感謝の意をこめて表彰いたします。2010年10月4日。丸山塾 塾長。おめでとうございます!」

再度の拍手。…びっくりだった。こんなサプライズがあるとは…。

「本当は会社の懇親会で表彰があるはずだったのに、異動でそれもかなわなかったものですから、こんな場ですが、個人的に表彰状を用意させていただきました」
ありがとうございますと頭を下げる陽子の目からひと粒の涙がこぼれた。
会社に戻る時間だった。

「短い時間しかいられなくて、すみません。…色々とありがとうございました」

涙声の陽子に、頑張ってねとみんなが声をかける。
また機会があったらぜひ呼んでくださいと告げて、陽子は店を出た。


〈書店からもらう表彰状は、出版社の営業マンにとって勲章みたいなもの〉

先輩の加藤のあの言葉が浮かんだ。

勲章に負けない仕事しなきゃ。…まずは帰社してゲラ読みだ!

駅に向かう足が小走りに変わっていた。

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