2015年6月13日土曜日

私のミリオンセラー計画 2


1.  もうひとつの丸山塾 

初会合
冷たい北風が吹く1月の夜、靖子は時間を気にしながら、とある喫茶店に急いでいた。昨年の忘年会でご案内された丸山塾が開催される日だった。丸山が声をかけたメンバーが数人集まるらしい。ご案内のメールは7名の方に同時送信されていた。
店に入ると、参加者とおぼしき人たちがすでに席に着いていた。
〈時間通りじゃ遅かったか…〉

「すみません、遅くなりました。申しわけありません!」
やたらと通る声に圧倒されて、全員、靖子を凝視している。
「いや、我々がちょっと早く来ただけだから、まだ時間の余裕はあるよ。年を取るとせっかちになるんだよね。早めに着いちゃうんだよ」
今日なんか30分前に着いたよと笑う丸山の声が、妙に優しかった。
「さて。揃ったようですから、第1回目の丸山塾を始めます」
ゴホンと咳払いしながら、急に顔を引き締めた丸山が開会を宣言した。

「業界に入ってかれこれ40年近く、販売員からスタートして店長、本部仕入れ担当まで、私は多くの仕事に従事してきました。その間、一番大きかったのは若手の指導です。仕事だと思って割り切った時期もありましたが、彼らが成功体験を積んで成長していく姿を見るのが、徐々に私の楽しみへと変わりました」
〈そんな時期もあったんですね…ぜひ聞いてみたい〉

「先月、わが社の若手メンバーを中心として丸山塾を立ち上げました。彼らには私の経験を伝えるとともに、出版社と交流することで成功体験ができる機会を与えたいと考えています。今回、こうして皆さんに集まっていただき、これから始めるもう一つの丸山塾は、出版社の若手営業担当が対象です」
え…ってことは、今ここにいる人がメンバーってこと?

「その中で、皆さんにも成功体験をしていただきたいと願っております。ほとんどの方がわが社のチェーン担当ですから、皆さんが成長すれば、私の仕事が楽になるのです」
笑いが漏れる。うちの会社もベストセラーが出ると楽になります。
「そんな気持ちでこの塾を進めていきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。さて、初めての方もいらっしゃるので、まずは自己紹介ですね。では芳川さんからお願いします」
丸山と目が合った芳川が最初に指名された。

 自己紹介
「今日は遅くなってしまって申し訳ありませんでした。E社の芳川と申します。入社して3年になります。一昨年だったでしょうか、丸山さんから強烈なクレームをいただきました。『この配本は何だ。必要な店に、必要な時期に、必要な部数が届いていないじゃないか!』と。電話ではありましたが、とても大きな声で言われました」
ふと丸山を見ると、目をつぶって物思いに耽った様子だった。

「皆さんご存じの通り、私どもの会社は書店さんと直接取引なものですから、事前に注文をいただいた店に注文頂いた部数で新刊をお届けします。そんなことから誤解が生じたようなのですが、丸山さんの論理はそんなところには収まらず、受注の仕方から店別売上規模の違いまでも含めて最適な配本をするのがプロの営業担当だと言われてしまいました」
丸山は相変わらず目をつぶっている。寝てませんよね?

「とても理路整然としていたものですから、反論できず、私はただ謝るばかりでした。でもそれがきっかけで、色々とお話をさせていただくようになりました。丸山さんのお話を聞くと、私はいつも元気が出ます。この丸山塾にはどうしても参加したいと考えていましたので、今回お誘いをいただき、とても感謝しています。どうか、よろしくお願いします」

何とか自己紹介を終えてホッとしているところで丸山の発言があった。
「美形だし、話し方もうまいし、物腰も柔らかそうで、一見、しっかりしてそうに見えますが、この方、ちょっと天然入ってるんですね。一生懸命なんだけれど、ちょっとしたことで悩んだり…ね?」
すみませんと芳川が苦笑すると、丸山は、でも彼女大した人なんですと続けた。

「私から見たらどうでもいいことでも、本人にとっては深刻な問題であることが多々あるようで、そんな時に限って私のところにやって来て、話し込んでいく。帰りにはコロッと気分を変えて、お店を回ります、なんて元気に営業を再開する人なんだ。実に切り替えのうまい営業ウーマンです。営業に対する姿勢も素晴らしい」

どこかの饅頭屋さんのCМじゃないけど、うますぎる。きちんとフォローしている。そしてちゃっかり、自分の功績もアピールしている。…会話の勉強になります。

では次に山本さんと、隣に座っていた女性が指名された。
「東京出版社の山本と申します。昨年から本部担当をさせていただいております。私どもの会社はあまり売れている本がないですし、私自身が出版社の営業での経験が足りないものですから、ここでしっかり勉強させてください。がんばりますのでどうぞよろしくお願いします!」

深々と頭を下げると、丸山はありがとうございましたと同じ深さで頭を下げた。それが妙におかしかったのか、芳川の隣に座る酒井がクスクス笑った。
一礼する山本に、丸山がニヤニヤしながら言った。
「サッカー観戦の会では、カラオケまでお付き合いいただき、ありがとうございました」
おやじネタですか…

「実は管理部長さんが、グループ会社から彼女を引き抜いて社員として雇ってしまったそうです。そんな噂を小耳に挟みましたが、これは事実?」
「…えーと、まあ、本当の話です」
控え目だけどストレートな山本の返答を聞いた丸山が、逆に「ごめんごめん」としどろもどろになってしまった。山本は芳川たちよりも少しお姉さんのようだ。

三人組+2
次は同じ会社から一緒に参加している3人組だった。
「O出版社の酒井と申します。入社2年目です。現在は山村書店の担当から外れていますが、暮れの忘年会の席でぜひ誘ってくださいと申し上げ、強引に参加させていただきました。担当させていただいた時には、文庫ダービーの企画で最終候補作品フェアに参加したいと思い、丸山さんに色々とアドバイスをいただきました。おかげでフェアに参加することができました。第一位は逃しましたが、丸山さんのファンとしてこの会に参加できて良かったです」
うんうんと強く頷く丸山。

「同じく青木と申します。私が現在の法人担当です。入社は酒井より1年早いのですが他の部署におりましたので、営業部ではまだ1年生です。色々教えていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします」
「栗山です。実は…昨日入社しました」
おお、という低い声が、どこからともなく漏れる。昨日ですか…

「今日の午前中、上司に連れられて丸山さんにお会いして、この丸山塾への参加を許していただきました。どうかよろしくお願いします」
さすがにびっくりしたよと話す丸山のトーンが上がった。
「突然訪ねて来て、お願いしますと言われちゃってね。断る理由もないから参加していただいております。しかし若い人がたくさん揃うと、さすがに華やかだね」
確かにほぼ20代のメンバーだった。

ゆうに180センチ以上ありそうな長身の男性がすっくと立った。
「日日新聞社の小泉と申します。私も営業部1年生です。あまり売れる本を出していない会社なものですから、今回お誘いをいただき恐縮しています。私も本部担当をさせていただいております。よろしくご指導ください」

最後はとてもかわいらしい人が一人残っていた。
「L出版の山岡陽子と申します。昨年4月入社の1年生です。昨年9月から本部担当をさせていただいています。丸山さんに誘われて塾に参加させていただきました。ここで勉強をさせていただきたいと思います。よろしくお願いします」

「ピカピカの1年生な彼女は、一見おっちょこちょいに見えて、実はぐいぐい押していくタイプです。由美かおるがデビューしたてのころに、トランジスタグラマーと言われたことがあります。それに雰囲気が似ています。顔はちょっと違うけど」
ゆ、由美かおる…あのいつまでも若い水戸黄門に出ていた人か。うん、雰囲気は似ているかも。例えが古いな…
「うちの店長たちにもすでにファンがいると聞いています」
「いえ、行く先々で結構叱られております」
すぐにそんな返事を返してしまう元気な一年生だった。靖子もあんなだったのかも。


 書店からの参加者
出版社サイドの紹介を終えると、次は山村書店から参加するメンバーの自己紹介だった。
「B店の店長をさせていただいている有田と申します。丸山と一緒にいると色々な方との出会いが増えて、楽しく仕事ができるようになりました。出版社のメンバーが大勢いらっしゃる中、書店代表のつもりで頑張ります。よろしくお願いします」

丸山と素早くアイコンタクトをとった山中がスッと立ち上がる。陸上とかバスケットとかやれそうなタイプだ。
「山中と申します。丸山の秘書役として参加させていただきます。入社して3年目になります。この塾ではいつもの仕事と違う体験ができるのではないかと楽しみにしております。よろしくお願いします」
え。秘書役って…あ、会社からの監視役?山本がつぶやいている。

「以前、飲んだ席で山中に『私の美人秘書になってくれ』と聞いたら、『普通の秘書じゃなくて美人秘書ですか。だったらなってあげます』と返事をされた。B店で文庫新書の担当になったころから、私は彼女を色々なところに引き回してきました」
引き回されるなんて…でも山中さんって心臓が強そうだ。おほんと咳払いする丸山さんに参加者の視線が集中する。

「もう一名参加するはずだったのですが、メールでは新年会に参加します、と書いてありましたので、そちらにだけ来るつもりかもしれません。でも、店決めてないんだけど」
 
含み笑いをしながら、じゃ、お願いしますという丸山の合図で、山中からテキストが配られた。図表もたくさん入っている表裏印刷で、相当な枚数だ。

このペーパーは一体…

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