2015年6月24日水曜日

斉藤塾 第四講義テキスト 2010

ブレイクスルーの技術 

売りたがり書店員の会
売りたがりの若手文庫担当者たちは、それぞれの店で自分のおすすめ本を独自に仕掛けて楽しんでいた。
何時のころか定かではないのだが、「皆で一緒に同じ作品を仕掛けて売ろうよ」という声が上がって、定期的に打合せをするようになった。

そしてメンバーが協力して共同で仕掛け売りをするグループになった。出版社への交渉も彼らが自身で行っていた。彼らはわき目もふらずに売りまくる自分たちを、猪の子どもうり坊になぞらえていた。

その後、そのグループは本社のバイヤーに話しを持ち込み、バイヤーがまとめ役をすることになり、次は本部の力を利用して全店で仕掛け売りをしようと盛り上がった。
彼らの全店で行う仕掛け売りは、誰が名づけたかは不明なのだが、仲間内ではいつしか「大仕掛け」と呼ばれていた。

定期の人事異動や昇格で文庫担当から離れるメンバーが出ると、売りたがり書店員の会では必然的にメンバーが入れ替わっていった。
ただ、誰もが簡単にメンバーになれるのではなく、仲間の推薦とバイヤーの承認が必要だった。

彼らは毎月一度、本社に文庫のラインナップを持ち寄って集まった。主に行ったのが翌月新刊の注目銘柄選びだったからだ。

新人もベテランも、売れている店もそうではない店でも、売れ筋の情報を共有化して売上を確保することを狙って始めたものだった。

また、年に数回実施していた大仕掛けの銘柄選びや、進捗状況のチェック、勉強会をどうするかなどの打ち合わせもその会合の時に行っていた。

大仕掛けで記録に残っているのは2002年からだった。その当時は一ヶ月間の期間を区切って仕掛け売りをしていたようで、一年間で7本の記録が残っている。
その中では『慟哭』を2500冊近く販売しているのが目立った実績だった。

最初のブレイクスルー
2004年頃から大仕掛けのデータが復活している。この頃は2ヶ月で3000冊が目標だったが、概ねどの作品もこの目標をクリアしている。この間で一番成績が良かったのは二ヶ月で4500冊を超えた作品だった。

売りたがり書店員の会は雑学系文庫を取り上げる傾向が強かった。売れそうなものを売ることと、お付き合いしてくれる出版社の作品を選んだ結果として、中堅出版社の雑学系の文庫作品が多く取り上げられている。
大手文庫出版社の小説作品はほとんど取り上げられることはなかった。

大仕掛けの転機がやってきた。大手出版社の方から声をかけられたミステリー文庫を取り上げることができたのだ。これまでは売りたがり書店員たちだけで仕掛け売りの作品を決めていたのだが、今回は出版社と協力して大仕掛けを始めることになったのだ。

実は、出版社で行われた文庫担当者会議の後の懇親会で話しを持ち込まれ、話の流れの中で、誰かが「ディズニーのシーズンチケットが欲しいな」と発言したのがきっかけで、景品として使うことが認められた。
その結果、酒の勢いとディズニーチケットに心を動かされて、最初は2000冊でどうかと提案されたのに、飲んで騒いでいるうちに目標冊数が5000冊にまで膨れ上がってしまった。

2005年9月から雑学系の大仕掛けに割り込んだかたちで仕掛け売りが始まった。この頃から仕掛け売りのスペース取りや、POPや陳列技術の向上が目立ってきて、その結果『99%の誘拐』は拡販期間3ヶ月で8000冊という記録的な売上になった。
「第一位」の帯付きだったこと、装丁がシンプルで色使いも良く、多面陳列した時の見映えが良かったこと、店レベルでの陳列技術のレベルアップがあったことなどが新記録の要因として考えられた。

店レベルでの陳列のレベルアップというのは、角川文庫の『ダ・ヴィンチ・コード』の経験によるところが大きい。一年間で上・中・下3巻で10万冊の売上を記録した時の経験が多面陳列の技術、場所の確保、物量の消化、POPの使い方等これほど良い訓練になったと感じた作品はなかった。

99%の誘拐』は累計10000冊を超えた。この情報を出版社の方々に提供したことで、出版社の方々の我々を見る目が変わってきて、この後に続く出版社との協力体制の確立に寄与してくれた。そんな変化の前触れとなる大仕掛けの成功だった。

二度目のブレイクスルー
大仕掛けでブレークスルーした99%の誘拐』が前年実績となる2006年の秋、その売上を越える二度目のブレークスルーを狙っていた。6月頃から話し合いを始め、方法を模索していた。今回も結論は出版社の力を借りるということになった。

出版社の力を借りるために、売りたがり書店員に出版社担当を割り振り、スケジュールに従って、45名ずつでチームを組んで出版社訪問をし、そこで大仕掛けの候補作品を推薦していただくようお願いした。

出版社の文庫担当者は実物を持ち出し詳しく説明してくれた。出版社の方の説明に、ひとつひとつの作品に対する強い熱意を感じた。
一日45社の訪問でしたから、同席された一人一人の熱意に打たれると相当疲れたが、熱意のこもった厳選された候補作品を一社あたり平均3点ぐらい推薦していただいた。

文庫担当者からも候補作品が集まり、出版社からの推薦と合わせ、重複推薦も含め候補作品は延べ60点になった。
選定会議では「5000冊以上売れそうか」を基準にして10作品に絞り込み、全作品を購入して文庫担当者間で回し読みをした。一ケ月後、31人が一位から三位までを投票した。そして一位票は『月の扉』に集中した。

この作品が選ばれた大きな理由はその装丁にあった。売りたがり書店員たちは文庫にもジャケ買いがあることを知っているし、多面陳列で映える装丁はお客さまの心を捉えることを経験からつかんでいた。
仕掛け売りの作品を選ぶ際に装丁の良さが一つの項目となっていたことからもそれは想像できることだと思う。

10月から始まった『月の扉』の仕掛け売りは2ヶ月間で7000冊を超え、年末には10000冊を超える二回目のブレークスルーとなった。『月の扉』の新記録は多くの出版社の方々に驚きを与えたようだ。
年末に社長の出版社表敬訪問に同行したが、その席では『月の扉』の話題が一番盛り上がった。

出版社と店の文庫担当者から候補作品をたくさん出してもらい、その中から売れそうな作品を10点選び、その作品を読んで投票をして、仕掛け売りをする作品を選んだ。この一連の仕組みがブレークスルーを生んだのだと考えている。

全店大仕掛け
この間、店単位での仕掛け売りが積極的になってきた。本部スタッフも店の仕掛け売りの情報を流すことを始め、何処で何を仕掛けてどのくらい売っているのかを共有化できるようになった。
どこそこの店で売れている商品を、本部スタッフが出版社に掛け合い全店分の注文をして、全店に波及させる「中仕掛け」という売り方が活発化してきた。売りたがり書店員が中心になって行う仕掛け売りは「全店大仕掛け」と呼ばれるようになった。

2005年から2006年にかけて6点ぐらい取り上げて中仕掛けをしたが、いずれも4000冊前後の売上を記録している。
この中で「モルヒネ」は2006年2月に実施する全店大仕掛けの候補作品だったのだが、推薦した担当者の熱意を買って、「2ヶ月も待てないからすぐに始めましょう」ということになり12月に2000冊を仕入れて中仕掛として始めてしまった。

売れに売れて、累計10000冊を超え、全店大仕掛けと同等の販売実績となってしまった。こうしたことも影響してか出版社の方々から声をかけていただいく作品がどんどん増えていった。本部スタッフと出版社の関係が良くなったことも実感できた。

小説系の中仕掛けがどんどん増えていき、店の文庫担当者も小説系の文庫作品を仕掛けて売るのを好む担当者が多くなった。

全店大仕掛けの実績の積み重ねができたことで、出版社の協力体制が整備された。それにより、バイヤー主導の中仕掛けはさらに進化していった。新刊の発売前に出版社から声が掛かり、事前指定のかたちで大型部数を確保できるようにもなった。

仕掛け売りを意図しなくても大きな部数が店に配本され、それを粛々とこなしていく担当者が増えていった。その結果、2006年あたりから2009年ころまでは、新刊配本で2000冊から3000冊確保して、売りたがり書店員全員が力を合わせて売りまくるようになった。

『行きずりの街』や『葉桜の季節~』は新刊ではないのだが、大手出版社に交渉をしてまとまった数を獲得して仕掛け売りをしたものだ。全店大仕掛けでなくとも累計売上10000冊超えが容易にできるようにルーチンの仕事が進化していった。これも一つのブレイクスルーだろうと思う。

企画の解体と再生
『月の扉』の3ヶ月で10000冊が前年実績になる2007年秋、もう一度ブレークスルーを狙うためにはどうしたらいいか、ずいぶんと考えた。その結果、全店大仕掛けの仕組みを一度解体して、また再構築する作業に入ることにした。

60点のノミネート作品から10点に絞り込み、皆で読んで投票して選ばれた『月の扉』でブレークスルーができた。
そこにまだ工夫の余地があるのではないか、お客様参加型の企画はどうしたらできるのか、5月頃から色々と考え始めた。そうして出来上がった企画が「おすすめ文庫全店フェア」だ。

「おすすめ文庫全店フェア」の企画は候補作品を集め、絞り込みをするところまではそれまでと同じ。絞り込んだ作品で全店フェアを行い、お客さまのお買い上げに、お客様投票とスタッフ投票を加えて順位を決めることが変更点だった。

そして、第一位に社名入りで「第一位」の帯をつけて拡販キャンペーンをすることにした。これは売り方に勢いをつけるという意味で工夫を加えた点だった。

7月頃までに企画書をつくり説明会を開催して、出版社の方々にも売りたがり書店員にも納得してもらってからスタートさせることにした。そのために、7月18日「納涼会」を開催した。
参加出版社は、22社で、ほとんどの文庫出版社を網羅できたと思う。複数メンバーの参加もあったので出版社から合計27人、店サイドからは19店舗21人と本社スタッフが5人で合計26人、合わせて53人が参加した。

秋に予定している企画を発表し、翌月の出版社訪問のスケジュールなども確認した。前年の3ヶ月で10000冊という記録的な売上が良い影響を与え、参加出版社も出席した売りたがり書店員もとても積極的になっていた。

店を借り切って行った納涼会は好評だった。会話が弾んで、「これは面白いですよ」とおすすめされた作品が他社本で、それを仕入れて売り伸ばした店のメンバーもいた。こういうことがあると納涼会を企画した意味が出てくる。

出版社も書店も、お互いを尊重していこうとする姿勢が見えてくるし、人と人のつながりが生まれてくるものだ。店の外ベランダ部分に喫煙席を設けてあって、いつの間にかそこに飲み物や食べ物を持ち込んだメンバーがいた。話が弾んでボーリング大会を個別に行ったグループもあった。


三度目のブレイクスルー
前年の夏と同じ要領で8月17日から約一週間、出版社訪問をして、候補作品を推薦していただくようお願いした。

今回は前年よりもさらに多くの候補作品が集まり、出版社推薦が55作品、文庫担当者推薦が45作品、合計90作品がノミネートされた。絞込み会議で11作品が選ばれた。

決め手となったのは「5000冊以上売れそうか」「大量多面陳列して映える装丁か」「推薦者の強い押しは感じたのか」「参加メンバーの強い押しはあるのか」などだった。

最終候補作品フェアを始めるに前に、自作のPOPパネルを二種類作成した。ひとつはタイトルパネルでもうひとつは候補作品リスト。また、お客様用の投票用紙、投票箱も用意するなど、なかなか大変な作業が続いた。

おすすめ文庫全店フェアは200810月の1ヶ月間開催した。期間中の売上冊数は5660冊、初回投入冊数に対する消化率は一ヶ月で51%。1ヶ月の販売としては良い結果で、単品の仕掛け売りと同等以上の売上を稼いでしまった。

フェアが始まってしばらくは、4作品が競り合っていた。その後、中旬からは『床下仙人』が優位に立ち、そのまま最後まで一度も首位を譲ることなく、二位に200冊もの差をつけてゴールした。

お客さま投票は250人の方からいただき、スタッフ投票は60票が集まった。これまでの全店大仕掛けならば、このスタッフ投票で決まっていたので、大仕掛けの銘柄はスタッフ投票第一位の作品になっていたはずだった。
最終的に、お客さま投票、スタッフ投票を売上に加算して、床下仙人が文句なく第一位となった。

フェアの結果を資料にまとめ、116日に出版社を訪ね、第一位決定の報告をした。その場で、初回投入冊数を5000冊と決め、1121日頃に取次搬入。帯には社名入りの第一位を巻いて出荷していただくようにお願いした
帯のデザインは数日後からのメールのやり取りで決めた。最終的に紺地と黒地の帯が出来上がった。表紙が黄色主体だったので黒字の帯が選ばれ、黄色と黒のタイガーカラーとなった。

拡販キャンペーン
121日から正式にキャンペーンは始まりまった。初日130冊、二日目156冊、三日目182冊、順調に売上を伸ばしていった。途中、1216日の朝日新聞書評欄の「売れてる本」のコーナーに書評が掲載されて、おすすめ文庫全店フェアの記事がそこに書き込まれていた。

初回搬入を含め都合17000冊投入して、二ヶ月間の売上冊数は約12000冊。一日平均190冊、一店舗平均337冊という結果が出た。その後も売れ続けて三月までに15000冊を超える大ブレークスルーとなった。

第一位作品の著者はは2003年まで10作品が出版されていた。しかし、2004年からは新刊が発行されず、文庫化作品が断裁された時点で、作家生活はほぼ終了せざるを得ない状態だったはず。

町田の書店員さんが発掘してブレークして、おすすめ文庫全店フェアで第一位を獲得して流れが変わり、2007年に文庫が新刊として発行され、2008年の3月には単行本や文庫本が立て続けに刊行されるようになった。

20083月以降は著者の作品はチェーン店としての拡販銘柄とみなされ指定配本の声がかかっている。担当者は申し込み部数に悩みながらも盛り上がっている。多分、今は著者に多くの出版社から原稿依頼が来て忙しい生活が戻ったように思う。

おすすめ本を一生懸命売ったことが、チェーン店にとってはドル箱作家を持つことにつながり、作家にとっては忙しい毎日が始まったようだ。作品を書く意欲が戻って、20092月、5月、10月と一年間に3冊の単行本が発売された。

その都度出版社からは本部のバイヤーに声がかかり、文芸書担当者には売り方の相談やPOPのコピー作成の依頼が来た。今回の作品では重版がかかっているのが2003年以前とは違っている点のようだ。

PB商品の誕生
おすすめ文庫全店フェアの第一位の作品は2ヶ月間の拡販キャンペーンを行ったのだが、その拡販キャンペーンの効果は第一位帯が演出している。私はそう考えている。
社名入りの第一位という文字があるからこそ全店で同時に集中的な大量販売ができるのだし、第一位帯をつけることで爆発的な売上を記録したのだ。

90点ものノミネート作品から選抜された作品で1ヶ月間のフェアを全店で行い、お客さのお買い上げとお客さま投票スタッフ投票で順位をつける。やはりお客さまが決めた第一位はステータスが高いものであることも痛感した。

第一位帯を巻いて拡販できるのはわが社だけ。他の書店では使用できない。結果として第一位帯を巻いた作品はプライベートブランド商品となっている。

全店大仕掛けでは売りたがり書店員のグループと本部バイヤーで協議して選んだ作品を全店で売る仕組みだった。
出版社とのタイアップで行った『99%の誘拐が一回目のブレークスルーができた背景には、出版社から景品を出していただき、それを励みに店の担当者が頑張って売っていくという構造ができあがった。企画の推進母体も「売りたがり書店員」+「本部バイヤー」に「出版社」が加わった。

翌年のブレークスルーの背景には、出版社訪問をして、企画の説明をし、候補作品をノミネートしていただいた多くの出版社の参加があった。
また、60点の候補作品を10作品に絞り込み、その作品を経費で購入して担当者同士で回し読みをし、31人が投票して商品を選定したという企画上の工夫も加わった。

選定されなかった出版社の担当者たちの中には実際に選ばれた作品を購入した方もいらっしゃったし、企画そのものを応援するエールが多く届いていた。

三回目のブレークスルーには全店大仕掛けという企画の解体と新たな企画の創出という側面があり、「おすすめ作品の全店フェア」と「拡販キャンペーン」という二重構造の企画になった。さらに投票にお客さまが参加できる点も改善点として加わっている。

5月頃から企画を練りだして、7月に納涼会を行い、8月に出版社訪問をして、10月に全店フェアを開催、12月、1月に拡販キャンペーンを行う。とても長くてハードなスケジュールだったが、見返りとして3年連続のブレークスルーというプレゼントをいただいた。

推進母体をだんだん大きくしていったこと、
毎回企画に工夫を加えていったこと、
参加していただいた皆さんに企画そのものを楽しんでいただけたこと、
お客さま参加型の企画ができたこと、

こんなところが3年連続のブレークスルーの肝だと考えている。

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